理屈の限界

多くの人は人間が「サルの毛が抜けた程度の動物」である事を忘れている。

そして、意識で理屈をこねて何でも解決しようとしたがる。

だが、人の本質は動物的潜在意識(心)にある。

意識はそれの調整役に過ぎない。

人の存在理由は幸せにあるが、意識が理屈をこねくり回しても幸せにはなれない。

貧しかった時代は理屈をこねくり回す事で食料と安全を確保できる確率が上がり、間接的に幸せに貢献できたが、今の時代は食料と安全を確保する事は当たり前で、これで幸せを得られなくなった。

つまり、これからの時代、意識で理屈をこねくり回す方向に幸せはない。

そもそももし、本当に理屈がすべてに優先するのだとしたら人は生きている意味すら失う。

理屈では「何のため生きているのか?」に明快な答えを定義できない。

それにもかかわらず理屈を優先するのは自己矛盾している。

意識は心を大切にし、心を守り、心をワクワク・ドキドキさせる調整役に徹し、人生を豊かにする事に専念すべきだと思う。

これを思考の前提に入れられるかどうかが人生の質に大きく影響を与えるだろう。


しかるに、人間関係とは心と心のコミュニケーションの在り方に他ならない。一部のビジネス関係を除き、心の通じ合わない関係は本当の意味で人間関係にならないし、そういう関係は心を蝕む。
自分の心に対して真摯に向き合う事がまず基本で、その上で、同様に他者の心に対して真摯に向き合う事、これが人間関係の本来的な在り方となる。

よって、小手先のナレッジで相手の心を懐柔しようという試みは、例え表面上うまく行ったとしても本質的には人間関係とはいえないし、そういう事を是認する意識のあり方自身が自分の心を蝕み、結果として不幸を呼び込む。